現在に至る最上三十三所巡りは、山形一帯を治めていた最上家の第5代頼宗の娘、光姫が巡礼したことが世間に広まり、始まったとされています。札所の順番はその時に定まったといわれ、現在千手堂は3番札所となっています。
しかし、慶長8年(1603年)に山形城主の最上義光から奉納された御詠歌札には「第一番千手堂」と記されており、元来は巡礼の起点となっていたとみられています。
「熊野三山と出羽三山にみられる観音、薬師、阿弥陀という本地仏の組み合わせは、今を生きる人々の不安や悩みを和らげるためのこれ以上望みようのない強力な布陣であり、現世での幸せや病苦などの回避を願って観音と薬師に祈をささげ、来世の安穏を阿弥陀に求める。この組み合わせは、現世と来世の二世にわたって幸福でありたいという人々の願いに即応できるものといえ、三尊浄土の信仰の広がりを得た」と言われています。